結婚の歴史〜平安時代編part2〜

前回の結婚の歴史〜平安時代編〜では妻問婚を経た後結婚し、主に妻方の実家にて一時的に同居、その後家を建てる、一時的に同居していた家の家主とその家族が退去するなどして本格的に同棲するという流れであると書きました。

先程、主に妻方の実家で同居と書きました。現代の感覚からすると男性の家で同居すると言うのが一般的な気がしますが、平安時代は母系が強く、息子がいても遺産を継ぐのは娘でした。そのため、娘は婿を取ることで親の持ち家を相続することにも繋がったのです。

話は変わりますが、平安時代はどのように「離婚」していたのでしょうか。これも結婚の歴史〜古代における結婚の定義編〜で触れたように女性の元に男性が通わなくなると「離婚」でした。このように平安時代の結婚は結びつきが弱いので生涯、何度も結婚、離婚する人々が多かったようです。この時代、貴族男性は一夫一妻多妾だったので正妻格に据えてくれる夫が通わなくなったら新しい夫を探したほうがいいとされていました。
また、結婚している女性が出家することも事実上の離婚でありました。平安時代、これが女性から離婚する唯一の方法です。例えば、源氏物語の女三宮。光源氏の嫁である女三宮は柏木との密会により、妊娠、出産。光源氏と不和になりました。しかし、出家することで離婚というけじめをつけたのです。

光源氏ですら上手くいかなかったことや、蜻蛉日記の作者である藤原道綱の母が夫である兼家の不誠実さを嘆いていたことからもわかるように、一夫一妻多妾制は中々上手く行くものではなかったようです。

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